カテゴリー別アーカイブ: 研究会の活動

第9回研究会

3月7日、愛知県立大学サテライトキャンパスにおいて第9回学際魔女研究会が開催されました。

今回は5月に開催される日本西洋史学会における小シンポジウム「魔女研究の新潮流——メディア、領域侵犯、グローバル・ヒストリー――」の準備報告が行われました。
各報告のタイトルは以下の通りです。

趣旨説明・司会:楠義彦(東北学院大学) 
報告1:田島篤史(関西大学)
  「中・近世帝国都市ニュルンベルクにおける魔女・メディア・悪魔」
報告2:黒川正剛(太成学院大学)
  「表象としての魔女」
報告3:谷口智子(愛知県立大学)
  「表象と媒介者—アンデスの悪魔・魔術師・魔女」
報告4:牟田和男(ザールラント大学)
  「近現代の魔女言説とフェミニズム」
コメント:小林繁子(新潟大学)、川田牧人(成城大学)

第8回研究会

11月28日、愛知県立大学サテライトキャンパスにおいて第8回学際魔女研究会が開催されました。

今回はまず4名の方に報告していただき、コメント、および討論を行いました。
報告のタイトル・内容は以下の通りです。

田島篤史氏 「魔女とメディアと悪魔学―中世末の帝国都市ニュルンベルクを例に―」
 本報告では悪魔学書『魔女への鉄槌』のメディアとしての側面に着目し、ニュルンベルクにおける魔女裁判の中でいかに機能していたかを検討した。また本書の著者と製作者および市参事会との関係に注目し、本書の製作・受容状況を考察した。

黒川正剛氏 「表象としての魔女」
 中世末から18世紀の西欧社会における魔女を「表象/代替(representation)」(サイード)として捉え、多様な図像史料からその内実を検討した。当時、視覚イメージは魔女を具象的に表現するにあたって大きな役割りを果たし、想像上の産物である魔女を「認識できるものに、信じられるもの」にしたのである。視覚イメージによって、想像が現実/真実に転化していったといえるだろう。

牟田和男氏 「近現代の大衆的魔女像とフェミニズム」
 実証的魔女研究とは別に19世紀から現代に至るまで欧米で広く普及している大衆的魔女言説を取り扱った。特にその現代宗教としての側面と、フェミニズムによる受容、そしてこれら魔女言説の認識枠組みと方法論上の問題点にも言及した。

谷口智子氏 「不義密通者、魔術師、反逆者たち―17世紀ペルー・チャンカイの事例」
 本発表は、アナ・サンチェスによる著作『不義密通者、魔術師、反逆者たち―17世紀ペルー・チャンカイ』における偶像崇拝撲滅巡察の事例から、二つ特徴的な事例を選んで紹介した。いずれも時代は17世紀中頃であり、悪名高い巡察使ファン・サルミエント・デ・ヴィヴェロによる巡察記録から提示したものである。今回、筆者は植民地期ペルーにおける偶像崇拝・魔術巡察の歴史について概略した後、チャンカイ地方に関する史料について、有名なケースを二例紹介した。①姦婦として訴えられたマリア・アリエロと、②反逆者として訴えられたカシーケ層のドン・フランシスコ・ガマラである。いずれもインディオの実力者で、比較的裕福でコミュニケーション能力の高い人物たちであり、他のインディオへの影響力が大きかった。カトリックの巡察使ヴィヴェロとしては、影響力のあるインディオを「偶像崇拝」や「魔術」として訴え、その財産を没収することは、キリスト教への改宗と富の集約という二つの側面で(まさに植民地主義の名目と実利の点で)理にかなっていたことだったのである。

次回の研究会は2016年3月頃開催される予定です。

第7回研究会

8月25日、愛知県立大学サテライトキャンパスにて第7回学際魔女研究会が開催されました。

今回はまず前回からの新規メンバーである佐々木優衣氏の研究報告をしていただきました。
続いて、牟田和男氏による、大衆的に流布している「魔女神話」についての報告が行われました。

報告のタイトル・内容は以下の通りです。

佐々木 優衣氏
迷信から異端へ-中世カトリック教会における魔女教理の変遷-」

ローマ・カトリック教会(以下、教会)による「異端者としての魔女」についての教説が、どのような神学的教義に基づいて唱えられたか、ということを研究するにあたって、本発表では教会と、また中世最大の神学者と言われ教会の教義に多大な影響を与えたトマス・アクィナスがそもそも異端をどのようなものとして、どのように取り扱うべきだとみなしていたのかを概観した。
アクィナスによると、教会において正統な教義を決定する権威は教皇に存する。中世教会における異端者のセクト、またその主導者に対する審判は、公会議首位主義が権力を持った15世紀頃を除いて、教会会議や教令を通して、教皇によって行われていた。一方それぞれの異端者に対する裁判の方法は、長らく明確な規定が存在しなかったのだが、1184年のヴェローナ教会会議以降、徐々に整備され、強化されていくことになる。
アクィナスの『神学大全』は、異端審問の方法の整備に伴ってその手引書が整えられていくのと概ね同時期にあたる1267年から73年に執筆された、未完の書物である。アクィナスはそれにおいて、異端を異教やユダヤ教同様不信仰の一種であり、また異端者は他の不信仰者と異なり一度キリストの信仰を告白しているゆえに最も重い罪を犯している不信仰者であると見なす。そのような不信仰者は、他の信者の救いのために処罰されるべきであり、彼らが真に立ち帰るのでない場合は、死によって世界から取り除かれるべきであると厳しく論じる。
教会によって、後に魔女は異端者として裁かれ、処刑された。教会における異端問題は古代教会から続く長い歴史を持った問題だが、その異端と見なし得る見解の内容、処分の方法等は時代による変化が見られる。その変化はどのような教理の上に生じたのか、更なる理解を深めることが今後の課題となる。

牟田 和男氏
魔女・ロマン主義・フェミニズム―フェーリックス・ヴィーデマンの所論を読む」

魔女と魔女迫害は学術的な専門家以外の人々にも強いイメージ喚起力を持ってきた。欧米では1980年代後半より本格化した実証的魔女迫害研究とは別に、様々な社会運動、宗教運動の中で魔女について論じられている。報告ではF・ヴィーデマンの所説を紹介することにより、大衆的な魔女像と経験科学、神話と宗教的アイデンティティーとの関わりを考えることを意図した。
大衆的に流布している魔女イメージにはある共通点がある。「魔女」は実際にいた。魔女は賢女として異教の儀式を行なっていた。魔女は自然と親しむ生活を送っており、特別な知識を持っていた。こうした存在はキリスト教的秩序に抵触すると見做され、教会は魔女を計画的に迫害した。こうした観念をヴィーデマンは「魔女神話」と呼ぶ。
この魔女神話は人種主義的極右から環境主義的フェミニズムに至るまで、時代状況とイデオロギー的要請に従って様々な立場を異にする人々に受容されることになった。これはグリム、バハオーフェン、ミシュレ、ユングらの思想家によって形成されたロマン主義的魔女像を基本型としている。これが20世紀初めの宗教運動、オカルト運動から人種主義、さらにはナチズムにも流れ込み、戦後は人種主義的潮流だけでなく、宗教性の個人化を背景にさらに広い霊性運動、フェミニズムへと広がっていった。
ヴィーデマンは構築主義的観点から魔女神話の本質主義を分析、批判するが、この歴史的魔女神話を保持する人々は実は歴史を問題にしているのではなく、現在の生と自己のアイデンティティーを中心的関心事としている。さらに底流にはアカデミズムの実証主義に対する批判と反知性主義的傾向をも含んでいる。構築主義的視点から象徴解釈の固定性、実証との乖離を指摘するのみでは大衆的神話と実証科学との接点は生まれないであろう。報告では何らかの方向性を示すまでには至らず、問題提起の段階に終わった。今後考えるべき課題としたい。

 

次回の研究会は、11月頃開催される予定です。

第6回研究会

5月30日、名古屋大学にて第6回学際魔女研究会が開催されました。

今回は院生の方々の参加があり、まずは杉田望氏、前田星氏の研究報告からスタートしました。
続いて、研究会メンバー8名による共同研究を念頭に置いた研究紹介・報告が行われました。

それぞれの報告のタイトル・内容は以下の通り。

杉田 望氏
「魔女狩りとジェイムズ6世の『悪魔学』-卒業論文の要旨と修士論文への展望-」
卒業論文では、ジェイムズ6世の『悪魔学』(1597年)の内容を分析し、悪魔学論書としての同書の独自性も検討した。『悪魔学』の内容を検討した結果、同書はヨーロッパ大陸の悪魔学の理論を踏まえた上で、「使い魔」というブリテン島によく見られる文化を融合したものとなっていた。また、ジェイムズによる魔女観念の体系化と『悪魔学』の出版によって、スコットランドの魔女狩りが悪魔学と密接に関わるようになった。

前田 星氏
「近世ヴェストファーレン公領の魔女受任裁判官-ハインリッヒ・フォン・シュルトハイスと魔女裁判開始手続き」
近世ヴェストファーレン公領で魔女受任裁判官として活躍したハインリッヒ・フォン・シュルトハイスの『詳細なる手引き』(1634)から、魔女裁判開始手続と彼の魔女イメージとを再構成した。彼が告発手続からの糺問手続を想定していたこと、さらに例外的な手続を推奨していたこと、それにはキリスト教徒にとっての「裏切り者」という魔女イメージが関わっていたらしいことについて報告した。

小林繁子氏
「魔女から見る中近世史」
中世と近世は互いに分断されたものと捉えられ、その境界には宗教改革があると考えられてきた。しかし、異端審問と魔女裁判が深い相関関係にあり、かつ魔女裁判が近代への萌芽をそのうちに含んでいたとすれば、魔女を通じて中世と近世を取り結ぶことができると考えられる。本報告では、そのような長い視野において魔女を考察するうえで、神罰や瀆神の問題が長期的な思考枠組みとして有効なのではないかと問題提起した。

神谷貴子氏
「異端と魔女の境界-中世後期フリブールにおける異端審問をめぐって-」
本報告では、中世後期スイスの都市フリブールにおいて、同時代に行われたヴァルド派と魔女に対する異端審問裁判の事例から、異端と魔女の境界線上にあった社会の様相を明らかにすることがねらいであった。魔女迫害は都市の領域支配と関連しており、魔女の家族には都市と密接に関係していた、いわゆる「市外市民」も含まれていた。領域拡大のツールとしての市外市民政策と魔女迫害の関係性を市民登録簿等の史料から明らかにすることが今後の課題である。

田島篤史氏
「『悪魔学書の受容』研究における方法論的見通し」
報告者は悪魔学書『魔女への鉄槌』の受容をテーマとしているが、受容論は未だにその手法が確立していないため、まずは理論形成および対象への具体的アプローチの提示が必要である。本報告では、テクスト内分析によって明らかにされる「ソフトウェアの受容」と、テクスト外分析から解明される「ハードウェアの受容」という二側面から書物の受容を捉えることを提唱した。

牟田和男氏
「アルザス中・南部帝国都市の在地司法と魔女迫害」
アルザスの6つの帝国都市についてその魔女迫害を概観。概況の他、各都市の特徴を紹介した。主な点は、1全体的に迫害は苛烈ではなかったが、一部の都市では短期間に集中している、2初期の迫害ではスイスとの関連が疑われる、3学識法曹の役割によって迫害の質と量が異なっている、4悪魔学の直接的影響は今のところ実証できない、5市当局は個別具体的な害悪魔術の立証に注力する傾向がある、6市参事会は帝国の権威と市民との間でバランスをとろうとしていた、等。

福田真希氏
「学際的魔女研究におけるフランス刑事法史学の貢献可能性」
本報告では、研究会全体での活動のなかで、フランス刑事法史を専攻する報告者がどのような貢献をしうるのか考察した。
現在、報告者は主に、フランス北部・フランドル地方における刑事裁判資料を扱っているが、これらの文書の中には魔女裁判の事例も確認されている。18世紀初頭まで、フランスではなくスペイン領にあったこの地域の事例を検討することで、近代フランス国家形成における魔女裁判の意義を明らかにすることができると期待される。

谷口智子氏
「『神への侮辱』解題」
『神への侮辱』(Juan Carlos y Garcia Cabrera, Ofensas a dios: pleitos e injuries, Causas de idolatrías y hechicerías Cajatambo Siglos XVII-XIX, Centro de Estudios Regionales Andinos “Bartolomé de Las Casas”, Cusco, Peru, 1994))は、現在、ペルー共和国リマ市プエブロ・リブレ地区にある、リマ大司教区古文書館の『偶像崇拝・魔術撲滅史料Causas de idolatrías y hechicerías』の17-19世紀の巡察史料のうち、主にカハタンボ地方に関わる文書を集めたもので、19の文書が手稿から活字におこされている。
今回、筆者は植民地期ペルーにおける偶像崇拝・魔術巡察の歴史について概説的に触れた後、カハタンボ地方に関わる史料について、資料名、時期、場所、人物、内容の5点からまとめた概要を発表した。

黒川正剛氏
「中世末から近世にいたる魔女表象の変容」
中世末から近世にかけての悪魔学論文や図像に表現された魔女の表象には、時代の推移に伴ってその内実に変化が見られる。今回の発表では、主に図像史料にもとづいて、異端、ユダヤ人、女性、老人、貧民、インディオと魔女表象との関連性について考察した。悪魔学論文や図像におけるこれらの魔女表象と具体的な裁判に登場する魔女の具体像との比較検討が今後の重要な課題となるだろう。

楠 義彦氏
「イングランドへの魔女狩りの伝播」
イングランドにおける16・17世紀の大量現象としての魔女裁判を考えるにあたって、最初に検討しなければならないことは、大陸で形成された悪魔主義化した魔女信仰がどのようにイングランドに持ち込まれ、浸透していったかということである。今回、制定法、Visitation Articles、悪魔学の文献、学校・教育、医療、歴史記述の観点からアプローチした。特に初等教育で教科書として用いられた書物でのwitchcraftの位置づけについて報告した。

次回の研究会は、8月ごろ開催される予定です。

第5回研究会

2月21日、関西大学にて第5回学際魔女研究会が開催されました。
今回は小林繁子氏による研究報告と牟田和男氏によるコメント、それに続いてディスカッションが行われました。

小林氏は魔女迫害における「神の怒り」という言説を取り上げ、それが君主による法令、神学者による悪魔学文献、また平信徒による魔女裁判を求める請願の中でどのように表れるのか、比較分析を行いました。法制史・犯罪史の先行研究においては、神の怒りや神罰、あるいは神の摂理といった言説は中世後期から宗派化の時代にかけて法令で頻繁に言及されるようになり、様々な災厄の説明原理となると同時に、宗教的な逸脱に対する規制を強めるためのツールとなったとされていますが、魔女裁判関連の法令ではほとんど言及されないと小林氏は指摘します。「神の怒り」に触れる共同体名義の請願の例では、若干名の利害関係者が「共同体全体に神の罰が下る」と脅威を強調することで、個人的な利害が共同体の利害に置き換えられるという機能が論じられました。

続いて牟田氏は、災厄に際して近世にはどのような解釈がなされてきたのかH.C.E.Midelfort, Johannes Dillinger, Gerd Schwerhoff という3名の歴史家の議論をもとに整理しました。
敬虔主義神学の伝統においては、災害は神の怒りであるという霊的解釈がなされてきた一方、魔女は現実の害を与ええないとされる代わりに、その内面的悪が強調されるようになります。しかしながら、このミデルフォートの枠組みでは神学・法学的議論と実際の魔女迫害との相関が必ずしも明らかにされないと指摘されました。
また災難への伝統的な反応として呪いや護符といった魔術的手段が魔女迫害の代替物となりえた一方で、宗教改革ないしトリエント的思考において、人間が特定の手段を使って結果を操作できるという魔術的思考枠組みが否定され、魔術的対抗手段に対する嫌悪が生じたとするディリンガーのモデルは、今日一定の同意が得られると評価されました。

ディスカッションでは、宗教改革以前のキリスト教が事実上の多神教であった状態から、近世に神観念の倫理的転換が起こり、一神教的な「神の怒り」という問題が出現したとするM.ウェーバーの議論が紹介されました。また、天変地異や流星、奇形の誕生などの「驚異」を神の警告ないし予兆とする理解と、災害を神罰とする理解とはどのように関わりうるのかという問題提起がなされました。また小林氏が紹介したP.ビンスフェルトによる悪魔学論文に関して、災厄や悪魔の活動は神の意志によるものだが、魔女を罰するのが神の意にかなうことであり当局の責務であるとする議論においては、魔女の罪はどのようなものと捉えられうるのか、という質問・コメントがなされました。

次回の研究会は、5月ごろ開催される予定です。

第4回研究会

11月1日、関西大学にて第四回学際魔女研究会が開催されました。
今回は2014年4月に刊行されたW. ベーリンガー著『魔女と魔女狩り』(刀水書房)をとりあげました。
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ベーリンガー教授はドイツのザールラント大学近世史講座の教授、ドイツ語圏の研究者を中心にヨーロッパ、アメリカ、イスラエル、アフリカなど世界中から参加のある学際魔女学会(AKIH; Arbeitskreis interdisziplinäre Hexenforschung) の会長も務める魔女研究の泰斗です。本研究会メンバーもベーリンガー教授とは個人的に面識があり、本書の刊行には大変注目してきました。

一人目の報告者、田島篤史氏は谷口智子氏の研究(『新世界の悪魔-カトリック・ミッションとアンデス先住民宗教の葛藤』2007年)や黒川正剛氏の研究(『魔女とメランコリー』2012年)など近年の日本の魔女研究の流れにおける本書の意義を指摘しました。魔女研究の対象地域(非ヨーロッパ世界)、あるいは分析手法(メランコリーなどの医学概念、視覚文化論からのアプローチ)の広がりを指摘したうえで、人類学の成果をふんだんに摂取した本書はそのような旧来の魔女研究の枠を抜け出す流れに位置づけられると評価しました。ヨーロッパのみならず南北アメリカ、アフリカ、アジア、イスラーム諸国を対象とすることは、本書の特徴である「ゆるやかな<魔女>定義」を用いることで可能となることを踏まえた上で、そのゆるやかさが新たな問題提起に有用である一方、議論から緻密さを奪うという両義性があることにも言及しました。その新たな問題提起、議論の土台となるはずである本書に続く成果が原書の出版後10年余を経た今も現れていないことも問題点として指摘されました。

二人目の報告者、黒川正剛氏は「歴史学と人類学の架橋」という観点から本書を取り上げ、近年の人類学における呪術研究の動向に触れつつ論じました。氏は白川千尋「言葉・行為・呪術」(白川千尋・川田牧人編『呪術の人類学』(人文書院、2012年)所収)をひきつつ、2000年代からアフリカの呪術・宗教研究が活況を呈しており、とりわけ呪術の「近代性modernity」が着目されていると指摘しました。「呪術は決して近代性とかけ離れたものではなく、むしろ逆にそれを構成するものとして存在する」ということが、人類学における呪術研究の共通理解となっていることを踏まえると、本書で著者が述べるような「ヨーロッパ世界が経験した魔術信仰からの解放」という理解には疑問符が付されました。

またwitchcraftやsorcery、magicなどの用語が定義なしに用いられていることについても指摘がありました。翻訳の面では、これらの用語に人類学における定訳とは関係なくそれぞれの日本語が当てられている点にも批判的なコメントが寄せられました。

ディスカッションでは学際研究の意義、宗教改革の影響、修道会の役割、近代性の問題、法学や神学における「意志」の問題など、様々なトピックについて意見が交わされました。

次回の研究会は1月頃開催される予定です。

第三回研究会

8月23日、名古屋大学法学部第1会議室にて、第三回研究会が開催されました。

第三回目は黒川正剛氏の二著書『魔女とメランコリー』(新評論、2012年)と『魔女狩り―西欧の三つの近代化』(講談社、2014年)を取り上げた合評会となりました。

一人目のコメンテーター楠義彦氏は『魔女狩り―西欧の三つの近代化』で取り上げられた「視覚文化論」を掘り下げ、これに歴史的な奥行きを与えるものとしての本書のオリジナリティを評価しました。
*楠氏による『魔女とメランコリー』の書評があります。
楠義彦「他者としての魔女」(『史遊(京都教育大学歴史・地理学研究会)』第17号、2013年)

二人目のコメンテーター谷口智子氏は、『魔女とメランコリー』を取り上げました。
同書でテーマの一つとされた「他者としてのインディオ」を中心に、同時代スペイン人らのインディオ表象、ラテンアメリカにおけるインディオに対する異端審問の事例、またそこで「魔術師」とされた人々の実相を取り上げ、ヨーロッパにおける魔女迫害と比較して論ずる可能性を提起しました。

また自然認識、「真実」と「現実」の知覚、学際性の問題など両著が喚起する多くの問題系に刺激され、活発なディスカッションが交わされました。

次回の研究会は11月頃開催される予定です。

第二回研究会

第二回研究会が2014年5月10日、名古屋大学法学部911講義室にて開催されました。

第二回目のテキストは以下

Brian P. Levack (ed.), The Oxford handbook of witchcraft in early modern Europe and colonial America, Oxford 2013.

野村仁子氏は「15世紀の魔女信仰」、牟田和男氏は「近世ヨーロッパにおける魔術とジェンダー」「悪魔憑き、悪魔祓いと魔術」と、二人のプレゼンテーターがそれぞれの関心分野に関わる章を選び、報告と問題提起を行いました。

第一回研究会

第1回「学際魔女研究会」は「魔女研究のための勉強会」という名称のもと、2014年1月11日に名古屋大学法学部第二会議室にて開催されました。

第一回はメンバーの顔合わせも兼ねた読書会で、8名が参加。

ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』(みすず書房、2008年)を取り上げ、田島篤史氏・小林繁子氏による報告と牟田和男氏による総括コメントの後、全体のディスカッションが行われました。