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第5回研究会

2月21日、関西大学にて第5回学際魔女研究会が開催されました。
今回は小林繁子氏による研究報告と牟田和男氏によるコメント、それに続いてディスカッションが行われました。

小林氏は魔女迫害における「神の怒り」という言説を取り上げ、それが君主による法令、神学者による悪魔学文献、また平信徒による魔女裁判を求める請願の中でどのように表れるのか、比較分析を行いました。法制史・犯罪史の先行研究においては、神の怒りや神罰、あるいは神の摂理といった言説は中世後期から宗派化の時代にかけて法令で頻繁に言及されるようになり、様々な災厄の説明原理となると同時に、宗教的な逸脱に対する規制を強めるためのツールとなったとされていますが、魔女裁判関連の法令ではほとんど言及されないと小林氏は指摘します。「神の怒り」に触れる共同体名義の請願の例では、若干名の利害関係者が「共同体全体に神の罰が下る」と脅威を強調することで、個人的な利害が共同体の利害に置き換えられるという機能が論じられました。

続いて牟田氏は、災厄に際して近世にはどのような解釈がなされてきたのかH.C.E.Midelfort, Johannes Dillinger, Gerd Schwerhoff という3名の歴史家の議論をもとに整理しました。
敬虔主義神学の伝統においては、災害は神の怒りであるという霊的解釈がなされてきた一方、魔女は現実の害を与ええないとされる代わりに、その内面的悪が強調されるようになります。しかしながら、このミデルフォートの枠組みでは神学・法学的議論と実際の魔女迫害との相関が必ずしも明らかにされないと指摘されました。
また災難への伝統的な反応として呪いや護符といった魔術的手段が魔女迫害の代替物となりえた一方で、宗教改革ないしトリエント的思考において、人間が特定の手段を使って結果を操作できるという魔術的思考枠組みが否定され、魔術的対抗手段に対する嫌悪が生じたとするディリンガーのモデルは、今日一定の同意が得られると評価されました。

ディスカッションでは、宗教改革以前のキリスト教が事実上の多神教であった状態から、近世に神観念の倫理的転換が起こり、一神教的な「神の怒り」という問題が出現したとするM.ウェーバーの議論が紹介されました。また、天変地異や流星、奇形の誕生などの「驚異」を神の警告ないし予兆とする理解と、災害を神罰とする理解とはどのように関わりうるのかという問題提起がなされました。また小林氏が紹介したP.ビンスフェルトによる悪魔学論文に関して、災厄や悪魔の活動は神の意志によるものだが、魔女を罰するのが神の意にかなうことであり当局の責務であるとする議論においては、魔女の罪はどのようなものと捉えられうるのか、という質問・コメントがなされました。

次回の研究会は、5月ごろ開催される予定です。